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令和元年度おごおりっこからのメッセージ文集~小学生の部~

 

~小学生の部~  (PDF:721KB)

 

 

 

1 「みはる隊」に見守られながら

 

 御原小学校 6年 伊奈 耕ノ介

 

 みなさんは、誰かのことを「きらいだ」と思ったことはありませんか。誰かのことを

「苦手だ」と思って、さけたことはありませんか。今、毎日のようにテレビで流れているいじめのニュース。私は、この誰かのことを「きらいだ」
「苦手だ」と思う気持ちが、いじめの原因の一つになるのではないかと考えます。でも、私は、この気持ちは変えられると思うのです。一人一人が身近な人のいいところに目を向けて、個性を認め合えるようになることが、みんなが安心して過ごすことができる社会への第一歩だと考えます。
 私がいいところ見つけが大切だと思うようになったのには、きっかけとなる出来事がありました。以前、ある一人の男の子に対して、大勢の女の子達が無視をしたり、いやがらせをしたりしていることがありました。
「あの人がずっと話しかけてくるの、うざくない。」
「あの人、いつもいやなことしてくるやん。」
とひどい言葉が飛び交っていました。その時、私は、周りの空気に流され、それを止めることができませんでした。
でも、その子の気持ちを考えるときっとすごく悲しくて、くやしかっただろうと思います。後からふり返った時、私は、周りの人も自分もその子の短所にばかり目が行ってしまっていたことに気づきました。もっとその子のがんばりやよさを見つけて、周りの友達に伝えていけば、少しでもその子を傷つけずにすんだかなと、深い後悔が私の心に残りました。そして、この時から、私は友達のいいところに目を向けていこうと考えるようになりました。
 私は今年、クラスの友達のいいところを見つけたらすぐに、ノートに記録することを一学期から続けています。これがそのノートです。毎週最低でも一回は、書くようにしています。時には、クラスの友達全員分のいいところを書いたり、クラス全体のいいところを書いたりすることもあります。初めは、友達がしているのを見て、まねをするところから始めました。いいところを見つけようと意識して、友達を見ていると、今まで気づかなかったことが見えてきました。掃除の時間にしゃべっている人一人一人に声をかけてくれていた友達。運動会の応援団で、みんなが声を大きく出せるように、どうすればいいかを一生懸命に考えていた友達。友達の顔色の変化に気づいて、体調を気づかっていた友達。初めはなかなか見つけられないこともあったけれど、意識して続けていると、友達のよさがたくさん見えてきました。そしてそれが、日常になっていきました。
 ただ、自分が苦手だと思っている人の見方を変えるのは、難しいと感じている人もいるかもしれません。私もそうでした。どうしても、今までに自分が思いこんでいた悪い印象が頭からはなれず、短所ばかりに目が行ってしまうのです。
 私には、少し前まで「苦手だな」と思う友達がいました。小さいころ、その友達が暴力をふるったり、授業中にうるさくしたりしていたことがいやで、そのイメージをずっと引きずっていました。でも、いいところ見つけを続ける中で、その友達をちがう視点から見ることができるようになりました。みんなをまとめて引っぱってくれるところ、たくさん発表をしているところ、いつも話し合いでアイディアを出してくれるところ。その友達のよさに気づくと、自然に
「苦手だな」という気持ちが薄れていきました。そして、その友達に私も助けられていることに気づくことができました。
 人には、それぞれ、短所と長所があります。その一人一人のちがいを認め合える社会こそがみんなが安心して過ごせる社会だと私は考えます。そのためには、周りの人の長所に目を向け、それを伝え合うことが大切です。時には、本人は、短所だと思っていることでも、他の人から見れば、長所になることもあるかもしれません。だから私は、これからもいいところ見つけを続けて、周りに広げていきたいです。みなさんも、今日から、一日一つのいいところ見つけ、始めてみませんか。

 

 

 

 

2 いいところ見つけを広げよう

 

のぞみが丘小学校 6年 西田 奏音

 

 みなさんは、誰かのことを「きらいだ」と思ったことはありませんか。誰かのことを
「苦手だ」と思って、さけたことはありませんか。今、毎日のようにテレビで流れているいじめのニュース。私は、この誰かのことを「きらいだ」
「苦手だ」と思う気持ちが、いじめの原因の一つになるのではないかと考えます。でも、私は、この気持ちは変えられると思うのです。一人一人が身近な人のいいところに目を向けて、個性を認め合えるようになることが、みんなが安心して過ごすことができる社会への第一歩だと考えます。
 私がいいところ見つけが大切だと思うようになったのには、きっかけとなる出来事がありました。以前、ある一人の男の子に対して、大勢の女の子達が無視をしたり、いやがらせをしたりしていることがありました。
「あの人がずっと話しかけてくるの、うざくない。」
「あの人、いつもいやなことしてくるやん。」
とひどい言葉が飛び交っていました。その時、私は、周りの空気に流され、それを止めることができませんでした。
でも、その子の気持ちを考えるときっとすごく悲しくて、くやしかっただろうと思います。後からふり返った時、私は、周りの人も自分もその子の短所にばかり目が行ってしまっていたことに気づきました。もっとその子のがんばりやよさを見つけて、周りの友達に伝えていけば、少しでもその子を傷つけずにすんだかなと、深い後悔が私の心に残りました。そして、この時から、私は友達のいいところに目を向けていこうと考えるようになりました。
 私は今年、クラスの友達のいいところを見つけたらすぐに、ノートに記録することを一学期から続けています。これがそのノートです。毎週最低でも一回は、書くようにしています。時には、クラスの友達全員分のいいところを書いたり、クラス全体のいいところを書いたりすることもあります。初めは、友達がしているのを見て、まねをするところから始めました。いいところを見つけようと意識して、友達を見ていると、今まで気づかなかったことが見えてきました。掃除の時間にしゃべっている人一人一人に声をかけてくれていた友達。運動会の応援団で、みんなが声を大きく出せるように、どうすればいいかを一生懸命に考えていた友達。友達の顔色の変化に気づいて、体調を気づかっていた友達。初めはなかなか見つけられないこともあったけれど、意識して続けていると、友達のよさがたくさん見えてきました。そしてそれが、日常になっていきました。
 ただ、自分が苦手だと思っている人の見方を変えるのは、難しいと感じている人もいるかもしれません。私もそうでした。どうしても、今までに自分が思いこんでいた悪い印象が頭からはなれず、短所ばかりに目が行ってしまうのです。
 私には、少し前まで「苦手だな」と思う友達がいました。小さいころ、その友達が暴力をふるったり、授業中にうるさくしたりしていたことがいやで、そのイメージをずっと引きずっていました。でも、いいところ見つけを続ける中で、その友達をちがう視点から見ることができるようになりました。みんなをまとめて引っぱってくれるところ、たくさん発表をしているところ、いつも話し合いでアイディアを出してくれるところ。その友達のよさに気づくと、自然に
「苦手だな」という気持ちが薄れていきました。そして、その友達に私も助けられていることに気づくことができました。
 人には、それぞれ、短所と長所があります。その一人一人のちがいを認め合える社会こそがみんなが安心して過ごせる社会だと私は考えます。そのためには、周りの人の長所に目を向け、それを伝え合うことが大切です。時には、本人は、短所だと思っていることでも、他の人から見れば、長所になることもあるかもしれません。だから私は、これからもいいところ見つけを続けて、周りに広げていきたいです。みなさんも、今日から、一日一つのいいところ見つけ、始めてみませんか。

 

 

 

 

3 外国の方との関わり

 

  三国小学校 6年 後迫 健太

 

 みなさんは、この小郡市に、今どれくらいの外国の方々が住まわれているか知っていますか。
小郡市には、現在約千人の外国の方々が生活しています。ぼくは、このふるさと小郡の未来がよりよくあるために、小郡に住まわれている外国の方々と関わるきかいを増やし、おたがいのことを知り合うことが大切だと思います。そのためには、おたがいのことを助けあえる仲間だと思うことが必要です。ぼくは、これが小郡市の発展のための第一歩であり、国際協力にも大きくつながってくるのではないかと考えます。
 登校中や下校中、また、休日などに車の中から外を見たり、歩いたりしている時、たくさんの外国の方が自転車でどこかへ出かけているところを、何度も見かけたことがあります。ぼくはその時、大勢で出かけている外国の方々の中に、日本人が一人もいないということに気づきました。その時、ぼくがその外国の方々にあいさつをすると、
「おはようございます。」
と上手な日本語でていねいにあいさつをしてくれ、表情もものすごく笑顔でした。それまで外国の方々は、少し暗く表情はかたそうに見えていたけれど、ぼくがあいさつをした後は、表情がとてもやわらかく笑顔になりました。このことから、声をかけてもらってうれしそうだったので、日本人ともっともっと仲良くなりたいのではないかと感じました。
また、イオンなどのショッピングモールに行くと、外国の方が困っているすがたを何度か見たことがあります。なぜ困っているのか。ぼくはそう思い、周りを見てみました。するとあることに気づきました。それは日本語を英語に訳したものがとても少ないということです。日本人だけが楽しめることはまちがいだと思います。ぼくは、日本人も外国の方々も楽しめるよう、もっと日本語を英語などに訳したものを増やすべきだと思います。
 ぼくは、小郡から日本全体にふくらませて考えるため、国際協力に関する本を読んでみました。すると、日本で働いている外国の方々は約百四十六万人もいることが分かりました。その逆に、外国で働いている日本人は、約百三十五万人もいるということも分かりました。自分の国のためだけでなく、外国の方々は日本の未来のために、日本人はその国の未来のために働いているのだと感じました。だから、ぼくは日本人も、外国の方々も、それぞれの国の未来のために働いているという共通する仲間なのではないかと考えました。そして、そんな仲間のことを、日本人である僕たちが、もっと支えていかなければならないのではないかと感じました。
 ただ、外国の方としゃべったり、コミュニケーションをとったりすることはとても難しいことです。「外国の方としゃべる」や「コミュニケーションをとる」と簡単に言っても、実際に行ってみると簡単ではありません。ぼく自身、外国の方に急に話しかけられて、何とか対応した経験があります。ぼくが五年生の時、友達と遊んでいたら、外国の方に、
「近くにコンビニはありますか。」
と聞かれました。ぼくたちは考え、
「コンビニ」という単語があることに気づきました。そう気がついたぼくたちは、絵で地図をかいて外国の方にわたすと
「ありがとう。」
と言われ、その時はとてもうれしくなりました。このように、外国の方が言っていることを全て聞き取らなくてもいいと思います。自分が知っている単語を聞きとったり、自分の知っている言葉を使ったりして、聞きとったことがあっているか、身ぶり手ぶり、ジェスチャーで表したり、絵でかいてみたりして確かめればいいと思うのです。
それでも、言葉に困っている外国の方々は、まだまだたくさんいると思います。そのような人のために、日本語を学ぶことができる日本語教室や外国の方向けのテキストなど、日本語を学べる手段がたくさんあることを最近知りました。それを紹介している本には、いっしょうけんめい学んでいる外国の方々の写真がたくさんのっていました。そこで、ぼくたち日本人もいっしょうけんめい外国の方々の言っていることを聞き取ることができれば、コミュニケーションがさらにスムーズになるのではないかと思います。
このようにして、もっと外国の方との関わりを増やしていきたいです。ぼくにできることは、困っている外国の方を見かけたら、積極的に声をかけることや外国の方の言っていることをいっしょうけんめい聞き取るように努力することです。少し難しいことですが、それがおたがいをよく知ることにつながり国籍を越えた仲間を増やし、ふるさと小郡の未来をよりよくすることにつながっていくと思います。

 

 

 

 

4 笑顔あふれる世の中になるために

 

味坂小学校 6年 田中 陽菜

 

「それ分かる。きつかったんだね。」これは、私が救われた大切な言葉です。
今では、周りの人たちが困っていたり、落ち込んでいたりする時、私もこのような共感する言葉を使っています。なぜなら人は、共感されると安心してうれしい気持ちになるからです。そして、下を向いていた顔が上げられるようになり、暗かった顔が笑顔にもどります。私は、相手を丸ごと受け止めたり、共感したりすることでだれもが笑顔あふれる世の中につながると考えます。このような思いになったのは、ある出来事がきっかけでした。
私は、昔から声が高いことがコンプレックスでした。ある日、友達から、「その声わざとたかくしてるの。」とか、「かわい子ぶってるの。」などと言われました。そう言われたことで、ますます自分の声がいやになり、周りのみんなも、私の声のことをおかしいと思っているに違いない、と考えるようになり、気がつくと、しゃべる声もだんだん小さくなっていました。
そんなある日、思い切って、このことを信頼している友達に打ち明けました。すると、          
「それ分かる。声わざと低くしてるのって、私も言わることあるんだ。」
と言って、私のことを丸ごと受け止めて共感してくれました。私は、「分かってくれるんだ。」と感じ、その言葉に心から救われました。このことがきっかけとなり、自分の声を安心して出せるようになりました。そして、受け止めたり、共感したりすることは、周りの人を笑顔にするんだと実感しました。この友達とのやり取りがあったから、自分も、相手を丸ごと受け止めたり、共感したりすることを、意識するようになりました。
 それから、一年ほど経ったある日のことです。友達同士が気持ちのすれ違いからけんかをしていました。その友達は、二人で一緒に祭りに行く約束をしていたのに、一人が家族の急な都合で、一緒に遊びに行けなくなってしまったのです。どうして行けなくなったのか、そのわけを友達が話した時には、相手の子は、「全然いいよ。」と答えていました。それなのに、翌日に会った時には、腹を立てていたそうです。そのため、友達はとても落ち込んでいました。
 そこで、私はその友達に、「どうしたの。」と、たずねて、友達がしゃべることに対してうなずいたり、「そうなんだね。つらいよね。」
と、言ったりして、受け止め、共感し続けました。すると、友達は少しずつ笑顔を取り戻していきました。その時、「私にもできるんだ」と思いました。
 ただ、中には相手と同じ経験をしたこともないのに、共感なんてできるわけないと思う人もいるでしょう。でも、自分のことを気にかけてくれたり、分かろうとしてくれたりしたら、それだけでもうれしい気持ちになるのではないでしょうか。私だったらとてもうれしい気持ちになるし、安心感を得られます。つまり、共感はできなくても、受け止めることができれば、相手も自分も笑顔になることができるのではないかと思います。
 自分も周りの人も笑顔になれる世の中がずっと続いくために、私たちができることは二つあると考えています。
 一つ目は、困っている人に気付くことです。そのためにも、周りの人たちの表情をよく見て、みんなと関わり、相手を知ろうとすることです。
 二つ目は、進んで声をかけ、否定をせずにうなずきながら話を聞くことです。そうすることで相手の人は、自分を丸ごと受け止めて、共感してくれていると感じることができます。
 私は、この二つのことをみんなに広げていくことで、誰もが笑顔の世の中につながっていける、と信じています。
 まずは、私と一緒に相手を丸ごと受け止め、共感することから始めてみませんか。

 

 

 

 


5 認知症の人と
共にすごせる未来へ           
     
大原小学校 6年 児玉 羽音

 

 ここにいる皆さんもご存じだと思いますが、今の日本は、少子高齢化社会になっています。
それに加えて認知症の人も増えています。驚くことに、一部の地域では、家族に自由を奪われている認知症の人もいると聞きました。どうして、認知症の人の自由を奪うのでしょうか。わたしは、外で自由にしてあげればいいのにと思いました。それは、ふつうの人と認知症の人が、外で共にすごせる未来に必要なことだと考えたからです。
そのために、まずはしっかりと認知症のことを分かっておかなければなりません。これが認知症の人と共にすごせる一つ目のやるべきことだと考えます。
以前いたまちは、とても高齢者が多く、十年後の全国の高齢者率が42%であるのに対し、47%と5%も上回っています。そして、その半分以上が認知症であると…。わたしは、このまちで認知症の人を守りたい。そのために、わたしにできることは何かと考えました。そして、SOSネットワーク認知症もぎ訓練に参加しました。
SOSネットワーク認知症もぎ訓練とは、プロの方の対応の仕方や接し方などを学びます。そして、まち全体を使って、声かけをしながら認知症役の人を見つけ出す、というものです。認知症の対応として「行動や考えを否定してはいけないこと」「話に耳を傾け受け止めること」が大切なのだと話されました。実際、わたしのひいおばあちゃんも認知症で、私が会いに行っても、「仕事をしている人」だと思い、他人行儀な話ばかりでした。それでも、認知症の人にとっては、分かっているつもりで話しているので、否定してはいけない、間違ったことを言っていたとしても受け入れることが大切だと思い、ひいおばあちゃんと接しました。
ただ、認知症の対応の仕方を知ったところで、実際に声掛けをしたり、否定せずに接したりすることができるとは限らないと思う人がいるかもしれません。しかし、認知症であろうとなかろうと、わたしたちは毎日いろいろの人と接していると思います。ですから、もぎ訓練に参加し、様々な場面をシュミレーションし慣れておくことが大切だと考えます。これが認知症の人と共にすごせる二つ目のやるべきことだと考えます。
認知症の人が、共にすごせる未来にすること。家族に自由を奪われず外で自由にできることが増えること。そのために、今わたしにできることは、認知症についてくわしく学び、きちんとした対応ができるようになることです。簡単なことではないかもしれませんが、認知症の人と共にすごす未来に向けてやるべきことであり、よりよい未来への第一歩だと考えます。

 

 

 

 

6 戦争を知り、平和な未来を

東野小学校 6年 里 優花

 

 戦争のない、平和な暮らしがずっと続くこと。
これは、より良い未来にしていくために、何よりも大切なことだと思います。そのためには、戦争の恐ろしさを知ること。私は、これが平和への第一歩であり、より良い未来への第一歩だと考えます。
 私たちは、十月の初めに修学旅行に行きました。その事前学習で、戦争体験者である牟田英夫さんから、戦争のあった頃のお話をうかがいました。そのお話の中の、
「平和な世の中にするためには、まず戦争を知ることが大切だ。」とおっしゃった言葉が印象に残っています。これは、戦争のおそろしさを知らないと、平和の尊さは分からないという意味だと、私は思います。
私は、牟田英夫さんのように、実際に戦争を体験していないので、戦争のことを深く知ったり、うまく伝えたりすることはできません。でも、たくさんの想像力を働かせて考え、「もう二度と被爆者をつくりたくない」
「地球上から、核兵器をなくしたい」という被爆者の方の強い思いを受け継いで伝えていかなければならないと考えました。
 修学旅行本番のフィールドワークでは、一本柱の鳥居や長崎医科大学の門柱を見ました。写真で見たのとは違い、爆風や熱線のすごさを実感しました。原爆資料館の展示物の中には、目をそむけたくなるような物がたくさんありました。それらの第一印象は、「こわい。」でした。しかし戦争は、私たち人間が引き起こしたものなので、しっかりと向き合っていかないといけないと感じました。この長崎に起きたこと、被爆者の方の思いを無駄にしてはならないと思います。
 原爆落下中心地で、平和集会を行いました。そして、平和への願いを込めて合唱したり、千羽鶴贈りをしたりしました。この場所で、大勢の方が命を奪われたのだと思うと、いつもより一生懸命歌おうという思いがこみ上げてきました。すると、それを外国の観光客の方々が、立ち止まって最後まで見守っていました。私はそれを見て、私たちだけが戦争のことを知るのではなく、外国の方々など、もっとたくさんの人々が、原爆や戦争が人間や自然にどのような被害をもたらしたのかを知れば、きっとより良い未来へとつながっていくのだと思いました。
 ただ、だれかが戦争のことを知ったり、考えたりするだけでは平和な世の中にはならないと思う人もいるでしょう。しかし、みんなが進んで戦争のことを知り、戦争にならないように何ができるか考え、行動すれば、少しずつ平和な世の中になっていくのではないでしょうか。
 今の平和で、幸せな暮らしがいつまでも続いて欲しい。そして、むごたらしく、恐ろしい戦争が二度と起こらない平和な世の中になっていって欲しい。そのために、今私にできることを考えています。
私は今、学校の運営委員会の活動で、平和コーナーを作って、平和への願いを集めた「平和の木」を育てる取り組みをしています。このように、呼びかけ合ったり、意識して伝え合ったりしていけば、少しずつ、平和な世の中や、より良い未来へとつながっていくと思います。
小学校卒業まで、あと半年。まずは私の一番身近なところから、平和をつくっていくことを考えて過ごしたいです。
私にできることは、教室で起こるけんかをなくすことです。そのけんかのもとは、ほとんどが、口論から始まります。だから、私は、相手の思いを聞き、話し合ったり、自分の言いたいことを落ち着いて話したりするように声かけしていきたいと思います。
また、自分から進んで声をかけていくことも、大切だと思います。私たちの教室では、以前は同じ人ばかりが「静かにしよう。」と言っていて、いい雰囲気をつくり出そうと一部の人が頑張っていました。だから、言われている人たちは、毎日言われているだけで全然変わりませんでした。もっといろんな人が声をかけ合えばクラスの雰囲気はよくなるのに・・・と思いながらも、自分は声をかけていこうとしていませんでした。でも、人任せにするのではなく、自分が変わっていかないといけないと考えるようになりました。
私は、平和な暮らしを身近な所からつくる一人として、これからも「知ること」や「行動すること」を大切に過ごしていきたいです。
  

 

 

 

 

7 安全なまちをつくるために

立石小学校 6年  〆野 菜桜

 

高齢者事故をはじめとする多くの交通事故がなくなること。
これは、世の中の人々が安心して暮らせる社会に欠かせないことだと思います。
ある日の朝、高齢者による交通事故のニュースが流れていました。高齢者の方がブレーキとアクセルを踏み間違えて、建物にぶつかり、その車にはねられた方が亡くなったというニュースでした。私も学校に行く途中、車を駐車しようとしていたおばあさんがアクセルとブレーキを踏み間違えたようで、他の車にぶつかりそうになる瞬間を見ました。おばあさん本人もびっくりした様子でした。私はその様子を見て、私のおじいちゃんやおばあちゃんだったら…と想像し、少し怖い気持ちにもなりました。
私は、家に帰り、さっそく家族にその話をしました。私の家は大家族で、おじいちゃん、おばあちゃん、ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんも一緒に暮らしています。ひいおじいちゃんは、自分が運転することは危ないことだと感じたようで、免許は自分から返納したそうです。今は、病院に行く時や買い物に行く時は、おじいちゃんやおばあちゃんに連れていってもらっています。でも、おじいちゃんやおばあちゃんも免許を返納する日がくるのではないかと思い、お母さんに尋ねてみると、お母さんは、
「おじいちゃんたちが、免許を返納したあとに、車が必要になったときは、お父さんやお母さんが運転するよ。だけど、一人暮らしのお年寄りの方や車を運転できる家族がいらっしゃらないお年寄りの方は、困ることがたくさんあるよね。」
と答えてくれました。それを聞いて、私は、免許を返納しても、車がないと生活に困ることがあるので、不安や心配に思っているお年寄りの方もたくさんいるのではないかと思いました。
さらに、私たち自身も事故にあわないように気をつけなければならないと強く感じました。交通事故を防ぐために、普段何気なく取り組んでいることの必要性について改めて考えるようにもなりました。それは、毎日の集団登校と地域の行事です。
私の地域、吹上区では、一年中、登校班で集団登校をしています。集団登校をすることで、運転している人からも歩いている私たちを確認しやすいし、私たちも危険に気づいて声をかけ合うことで、事故を減らすことができると思います。また、おまわりさんや地域の防犯ボランティアの方たちが、登校の時、通学路に立ったり、一緒に学校まで歩いてくださったりします。私たちでは気づかない危険なことを注意してくれるので、毎日、安心して学校に行くことができます。
次に、立石校区では、一年に一回、「立石ウォークラリー」という行事があります。これは、小中学生と地域の人たちが一緒に校区を周り、地元の歴史だけでなく、危険な場所を教えてもらう行事です。歩きながら「ここがスピード出やすい所です。」とか「見通しが悪く危険な所です。」といったことを地域の方たちが教えてくれます。私も一緒に歩いてみて、運転する人だけでなく、歩行者である私たちもより一層注意しなければいけないと思うようになりました。このような取り組みも交通事故防止につながっていると気づきました。そして、いつも見守ってくれているおまわりさんや地域の方たちに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
私は、世の中の人々が安心して暮らせる社会になってほしいと思っています。そして、高齢者事故をはじめとする多くの交通事故がなくなってほしいです。今の私たちにできること、それは、今までのように、危険な所や危険な行動について知り、気をつけて登校したり生活したりすること。一緒に登校している低学年の子が気づかないことに私が気づき、声かけをすること。そして家族を含めた、私たちの安全を守ってくださる地域の方たちとのつながりを大切にしていくことです。これから、私も、地域の方たちやおまわりさんと協力して、自分が住むまちを安全なまちにしていけるように頑張ります。

 

 

 

 

 

8 あいさつで笑顔とつながりを

小郡小学校 6年 草野 小雪

 

 会場のみなさん、こんにちは。みなさんは、毎日あいさつをしていますか。みなさんは、あいさつについて深く考えたことはありますか。今から、あいさつについて自分なりに考えていることを発表します。
あいさつは大切です。それは、気もちのよいあいさつをすれば誰もが笑顔になると思うからです。みんなの笑顔をふやしていくためにも、あいさつは大切なのです。
 私の通学路には、いつもあいさつをしてくださる方がいます。その方は、笑顔で、「おはようございます。」「いってらっしゃい。」と、言ってくれます。その声を聞くとみんな自然と笑顔になって、
「おはようございます。」「いってきます。」と、元気にあいさつを返しています。このように、あいさつをしてくれる人が一人いるだけで、朝からいい気分になれるのです。
もう一つ、あいさつがもたらしてくれるものがあります。それは、あいさつでつながりが増えていくことがあるということです。いつもあいさつをしている人を見かけると、「自分もあいさつしよう。」と思い、
「こんにちは。」と、自分から声をかけます。そうすると、相手の人も、「こんにちは。」と、返してくれます。そういうやり取りを続ける中で、知り合いになってつながりが増えていくのです。
 そもそも、あいさつとは、中国語で「心を開いて歩み寄る」という意味があるそうです。つまり、あいさつをしてくれる人は、私たちに心を開いて歩み寄ってくれているのだと考えることができるのです。しかし、そうなると、あいさつをしていない人は、「心を閉ざした人」「たちどまっている人」ということになるのでしょうか。
 もちろん、そういう見方もあるかもしれませんし、そう思う人がいるかもしれません。だとしても、私は「あいさつをしていない人は心を閉ざしている」や、「たちどまっている」とは思いません。それは、あいさつにはさまざまな形があり、言葉だけのものではないと思うからです。私は、あいさつをされたら、頭をさげるだけでも良いと思います。また、ほほえみかけるだけでも良いと思います。あいさつの仕方を、言葉だけのもと決めつけずに、もっといろいろなことを気にかけてみたほうがよいと思うのです。そうすることで、きっといろいろなことが変わって見えると思います。いろいろなあいさつの代表が、「言葉のあいさつ」というだけなのです。
 あいさつは大切です。だから、これから私は、みんなに心を開いて歩みよれるように頑張っていこうと思います。